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味蕾と炊いたん [語学]

とある公共放送の朝番組でアナウンサーが、「味蕾」を「未来」のアクセントで、「炊いたん」を「タイタン」のアクセントで読んでいました。

すると、同期の女性アナウンサーがすかさず「味蕾」のアクセントを直していました。

「炊いたん」はそもそも関東の言葉じゃないので、正解は知りませんが、わたし(浜松近郊出身)は真ん中の「いた」を高く読みます。

まあ、浜松近郊は関東・関西の分岐点なので、アクセントはどっちつかずのとこもありますけどね。

勢いで、「ピッチ・アクセント」をネットで検索すると、いい加減なこと書いてありますね。

「質問箱」や」はてな」系のサイトを見ると、明らかに間違っていても、ベストアンサーになっていたり。

一応語学系は専門と思っていますので、その話題を見るとあるわあるわ。

ひどいのが。

今はネットで検索すれば、何ごとに関してもたくさん情報が出てきますが、玉石混交であることを肝に銘じるべきです。「玉石混淆」にしとこうかな。代字はそれほど否定しませんが、字面で決めることもあります。

この間、長年思っていたことが間違っていたと気付いたのが、「天地無用」、あれー上下どっちでもいいんだと思ってたよー。

でも、やっぱりおかしい。

まあ、運送用語ってなってたからいいけど。

「天を地にすること無用」なんですね。

「天も地もどっちでもいい」ってとれるなぁ。

グチョルとタリム [語学]

今日は朝から人身事故が重なり、会社到着が遅くなった。

その上、帰りは台風の接近である。

早く帰らなければと思いながら、台風情報を見ると台風4号の名前として「グチョル」と書いてあった。

え?

グチョル?

てっきり韓国語かと思ったが、ミクロネシアの言葉(ミクロネシア語?)で「うこん」のことらしい。

さらに、続いてきている5号は「タリム」、これはフィリピンの言葉で「鋭い刃先」だそうな。

気象庁の説明によると、台風の発生する太平洋近辺と進路となる東アジアの国々であらかじめ、140の名前が用意してあって、順番に使っていくことになっているそうだ。

知らなかった~。

フォイヤー? [語学]

昨日、テレビで天海祐希が、改装したオルセー美術館を訪ねる旅を放映していた。

オルセーは訪れたことがあるが、昨年末から全面改装して、ますます絵が映えるようになったらしい。

テレビ番組なので、美術館と絵画に関することだけでなく、パリ観光案内めいた内容もあったが、なかなか楽しめた。

ドガの「エトワール」を取り上げたところで、オペラ座の紹介があり、実際に画家がどこで絵を描いたかを検証していた。

そこで出てきたのが、「ホワイエ」である。

フランス語から来たことばで綴りは "foyer", 英語ではないので「フォイヤー」とは読まない(笑)。

横道に逸れるが、ドイツ語では「フォイヤー」は「火」、綴りは "Feuer"。

語学マニアなのだが、たまに外来語で出自を知らないものがある。

学生時代にも厳しいことで有名な学科の主任教授に絞られたっけ。

その言葉は「プロペラ」、"propeller" である。

変に他の言葉も知っていたわたしは、"propella" と書いて、「それはイタリア語ですか」とからかわれた。

今では、コンピュータ用語のせいで、動作主を表す語尾の "er" は長音として書かないことも多いが、わたしが学生のころは珍しかったのではないか。まさか「プロペラー」とは思わなかった。

その日の授業では、"pro-" "pel" (+l ) "-er" と分解して、語源の説明となった。

他に「ガーゼ」 "gauze" なども取り上げたっけな。

その教官の授業ではないが、面白かったのは、お茶の旅の話。

各国語でお茶を表す単語には大きく分けて、"tea" 系と "chai" 系があり、元々は中国語から広まった。

それが違う方向に伝播していって、最終的にヨーロッパのどこかで衝突する。

その変遷を追っていくと、お茶の伝わっていった経路がわかるという話。

他にも、スラブ系民族の発祥の地を、樹木を表す単語の共通性から突き止める話。

小さい頃から、語学が好きだったわたしはそれこそ夢中になって聞いた。

あのまま、30年語学を続けていれば、いっぱしの専門家になれただろう。

過去の話である。

やはり口語はむずかしい [語学]

映画の英語で思い出すのは、10数年前の「氷の微笑」である。

当時は海外出張も年に最低一回はあり、機内やホテルで話題の作品をかなり見た。

「氷の微笑」もそのひとつである。

シャロン・ストーンのセクシー・ポーズにつられたわけではなく、元々ミステリは好きなので見ることにした。

日本語で見てもすぐには犯人がわからないと言われていて、英語で見たら、正直何が起こっているのかわからなかった。

帰国後、家内と映画館に行って、吹き替え版で見たが、これを英語で見たらきびしいなと思った。

しばらくして、何かの雑誌で、西森マリーがセリフについて解説している記事を見つけた。

題材となった英文はこれである。

"She'd have to be nuttier than a twenty-pound Chiristmas fruitcake."

マイケル・ダグラス扮する刑事ニックの相棒ガスの科白。

字幕や吹き替えがどうなってたか忘れたが、意味は「相当いかれてるね」である。

まず、この英文を理解するためには、クリスマス・ケーキを知らなければならない。

日本で一般的なクリスマスカラーの白と赤、緑のケーキではなく、いわゆるパウンドケーキ、それもナッツやドライフルーツたっぷりのこげ茶色のケーキである。

特にナッツはたっぷり入っている。

それが20ポンドもあれば、ナッツだらけ。

ところが、「彼女」はそれよりナッツがいっぱい。

nutty とは「頭がおかしい」という意味。

"she would have to be ~" で、「~に違いない」となり、全体で「相当いかれてる」という意味になる。

同じ記事では blue-haired woman も出て来た。やはりガスがおばさんは嫌いだというシーン。

なぜか欧米人は歳をとると髪を青く染める傾向にあるらしい。

これだから、映画やドラマはわからない。

同じ頃、グりシャムの「依頼人」を見たが、こっちはもっとわからなかった(汗)。

翻訳不能? [語学]

参加しているSNSのコミュニティでこんな書き込みがあった。

映画「You've got mail」のセリフで、字幕と全く合わないところがある。どうしてそうなるのか教えてほしい。」

ピザショップのレジに並んだところ、現金専用の列で、店員と駆け引きするシーン。

"Knock, knock."

"Who's there ?"

"Orange."

"Orange who ?"

"Orange you going to give us a break by zipping this credit card through the credit card machine ?"

字幕の訳は次の通り。

「そこで質問。」

「なんでしょう?」

「ピザ好き?」

「好きだけど。」

「じゃ、このピザ・カード、ピピッと機械に通してよ。」

これは、アメリカで一般的な knock knock joke を知らないと全く理解不能となる。

禁酒法時代の合言葉からはじまったらしいが、日本のなぞかけのように決まったセリフでやり取りをして、最後はダジャレでオチをつける言葉遊びである。

机などをコンコンと叩き、「誰?」と答える。
すると名前をいう。相手はさらに「どこの誰?」と姓をたずねる。
ここで、ダジャレをいうという遊びである。

上の例は直訳するとこうなる。

「コンコン(ノックの音)」

「誰ですか?」

「オレンジです。」

「どこのオレンジさん?」

「大目に見て、このクレジットカードをピピッと読み取り機に通してくれない?」

ネット上では、"orange you" を "aren't you" と聞きとるか、"all ranges" と聞きとるかの2つの説があった。

「オレンジ・ユー」と「アーンチュー」では全然違うと思うかもしれないが、前に書いた「羽織太夫」と同じで実は結構似ている。

ナチュラルスピードで読むと、オレンジは頭の音にアクセントがあり、最後の子音はユーと連音化するから、「オーレンジュー」になり、どちらの母音も日本語の「お」と「あ」の違いはない。さらに後続の R で音色が変化しているため、相当似てくる。

ヂとチも日本語の清濁ほどの対立はなく、結果としてきわめて似た音になる。

all ranges はもっと似ているように思えるが、最後の複数の語尾が苦しい。

さらにわたしは range がレジの待ち行列に使えるかどうか自信がない。

全てこういうことは海外の生活経験がないとわからないことで、それもあって海外に出たいなと思うわけである。

理想を言えば、もっと若い頃ならよかったな。

チリとチリ・ペッパー [語学]

会社の知り合いが先ごろ、チリを訪問し、帰ってきた。

席が隣の同僚のところにお土産として、何の変哲もないミックスナッツに見える食べ物を置いていった。

そこから話がはずみ、チリの名産って知らないよねという話題から、チリ・ペッパーってチリと関係あるのかという話になった。

たいがいのことは検索すると wikipedia に到達する。そして多くの場合は答えが見つかるのだが、チリについてはわからずじまい。

前にもボンゴレやシラウオの記事で書いたが、気になるととことん調べる方である。

いきなりスペイン語 wiki に行く前に英語版の wiki をチェック。

なんとか回答を見つけた。

香辛料のチリはナワトル語で fruit を意味する。一方、国のチリはケチュア語で cold や snow を意味するとあった。

ナワトル語とケチュア語を説明しだすときりがないので、どちらも南米の先住民の言葉という程度の説明にしておく。

You are what you do !? [語学]

今朝通勤の電車で向かいに座っていた女性の持っていた小型のトートバッグ。

大きく、タイトルの言葉が書かれていた。

Tシャツなんかでもよく見るけど、英語(に限らず他の言語でも)が痛いことが多い。

たしか、人間はその為したことで計られると言う意味の格言か故事成語があったような気がするが、言いたいことはそういうことだろうか。

とはいえ、You are what you are なら、「人間はしょせん自分以上でも自分以下でもない」という意味になるが、You are what you do ではなぁ。

まあ、日本に限らず、漢字のTシャツも文字自体が間違っていたり、意味不明だったりするから、日本だけの問題ではない。もはやデザインでしかないということだろうか。

楽しいグルジア語 [語学]

いきなりだが、スヴァネティ地方の民話をもとにグルジア語の文章を見ていこう。

スヴァネティ地方はグルジア北西部にある山岳地帯で、コーカサス山脈をはさんで、ロシアのザカフカス地方の南側にある。
次の冬季五輪が開催されるソチにも近く、紛争地帯となっている黒海沿岸のアブハジア自治共和国と接している。

実際にはスヴァネティ地方ではグルジア語と同じグループに属するスヴァン語も話されているが、ほとんどグルジア語との2言語使用となっている。

სწორ-მრუდის მაკრატელა

იყო და არა იყო რა, იყო ხუთი ძმა. ერთხელ ძმებმა მოითათბირეს:
– მოდი, ერთი ისეთი კოშკი ავაშენოთ, მთელ ხეობაში იმისთანა მეორე არ იდგესო.
მართლაც, ადგნენ და წავიდნენ ოსტატის საძებნელად.

「すらりと曲がった大鋏」

昔々、5人の兄弟がいた。
ある日、あれこれ考えた末に、「谷じゅうのどこにもないような塔を作ろう」と言いながら、塔作りの達人を探しに出かけることになった。

【解説】

スヴァネティ地方は、世界遺産にも登録されており、高い見張り塔があちこちに見られる。これらの塔の多くは千年以上前に建てられており、土地を外敵から守るだめに作られた。民話の中でよく出てくる12という数字は南コーカサス地方では意味のある数字である。

さて、まず見て気がつくのは、独特の文字を使っていること。

この文字はムヘドゥルリ[მხედრული mxedruli ('military')]文字と呼ばれる。現代では33文字からなり、広く使われる書体である。

基本的に、一つの字が一つの音を表し、そのまま読めばよい。

発音で難しいのは、子音に放出音(ejective)という種類があり、肺からの呼気を直接使わないこと。
これは、世界的にも珍しく、コーカサスの他にはアフリカの言語などに見られる。

厳密な説明は複雑になるが、イメージとしては、日本語の促音を前につけるつもりで発音すると似たような音が得られる。しかし、韓国語の濃音と同じではない。あくまでも、肺からの息を直接出さないことが重要となる。

იყო და არა იყო რა, იყო ხუთი ძმა.

იყო - copula (be 動詞) の3人称単数アオリスト [ი - i, ყ - q', ო - o]
და - and [დ - d, ა - a]
არა - not [რ - r]
რა - what の主格
ხუთი - five [ხ - x, უ - u, თ - t]
ძმა - brother の単数主格 [ძ - dz, მ - m]

ერთხელ ძმებმა მოითათბირეს:

ერთხელ - once [ე - e, ლ - l]
ძმებმა - < ძმები - < ძმა - brother の複数能格 [ბ - b]
მოითათბირეს - deliberate のアオリスト、主語3人称複数、目的語3人称単数 [ს - s]

– მოდი, ერთი ისეთი კოშკი ავაშენოთ, მთელ ხეობაში იმისთანა მეორე არ იდგესო.

მოდი - particle (小辞)、本来は come の命令形
ერთი - one
ისეთი - such
კოშკი - tower [კ - k', შ - sh]
ავაშენოთ - build の optative(願望法)、 主語1人称複数、目的語3人称単数 [ვ - v, ნ - n]
მთელ - whole の単数間接目的格
ხეობაში - valley の単数間接目的格 + in (後置詞)
იმისთანა - that の属格 + 接尾辞
მეორე - another
არ - not
იდგესო - stand の optative, 主語3人称単数 + 小詞

მართლაც, ადგნენ და წავიდნენ ოსტატის საძებნელად.

მართლაც - true + 小詞 [ც - ts]
ადგნენ - rise のアオリスト、主語3人称複数
წავიდნენ - depart のアオリスト、主語3人称複数 [წ - ts']
ოსტატის - craftsman の属格単数 [ტ - t']
საძებნელად - search for の未来分詞、様格

ざっと書いてみたが、文法概要程度は説明しないと参考にもならないだろう。

次回から、少しずつ説明を加えていくことにする。(2012年1月31日記)

訂正:新出文字 [წ - ts'] [ტ - t'] が抜けていたため、追加(2014年7月1日記)

コロケーション、コノテーション [語学]

さて、日本語の話題が続いたので、英語の話題をひとつ。

前にも書いたが、英語には同じ意味だと思ってしまう単語がいろいろある。

beautiful, pretty, handsome, nice

なんか見た目が良ければ何にでも使えそうな気がする。

clever, smart, sharp, keen, intelligent

どれも使えそうだ。

ここで役に立つのがコロケーション辞典。

相手がすてきなマフラーをしていて、誉めようと思った時にどの単語なら合うかがわかる。

けっこう、男性にしか使えないと思っている handsome が物にも使えたりする。

さらに、コノテーション辞典。

これは、単語の持っている本来の意味以外のイメージを知るために使う。

女の子にレモンちゃんと言ったら、日本語ではさわやかでフレッシュな感じがする。

ところが、英語では酸っぱくてあまり付き合いたくない女性のことだ。

あと、重要なことに、晩と evening の違いなどもある。

何時までが evening で、何時からが night か。これも言語によって違う。

英語では寝る時間が night だ。

だから、深夜0時過ぎでも、外で出会ったら、"Good evening", 別れる時に "Good night" という。
普通は別れたら、家でおとなしく寝ると期待するからだ。

後は色の問題もある。

日本では虹は7色、これは世界では多い方だ。

また、太陽の絵を描くとだいたいの子供は赤で塗るが、欧米では黄色。

日本の茶封筒は、フランスでは黄色封筒である。

もちろん細かい色の名前があるのだが、おおまかに分類するときには黄色の一種と捉えているということだ。

物には何にでも名前がある。

ないと思うのは、自分にとって意味を持たないからだ。

みんなが暇つぶしをするプチプチ、あれも確かエアーマットとかいうらしい。

刺身や寿司の仕切りの緑のギザギザはバラン。

もともと葉蘭をかたどったことから来ている。最初が濁っているのは「人造バラン」の「人造」が省略されたから。

もちろん、知らなくても全く困らないが、商品として扱っている人には名称は必要だ。

このように、言語の話は実は身近で、人間誰しも言葉を使っているから、面白く話せば誰もが興味を示す。

飲み屋で雑学王にでもなったつもりで話してみてはどうだろうか。

仕事が休みなものですから [語学]

昨日の記事の続き。

金田一春彦の「日本語」にはさらに興味深い例文があった。

こんな内容である。

平日の昼間、マンションに住んでいる主婦と隣の会社員の会話。
主婦:「今日はいいお天気ですね。」
会社員:「仕事が休みなものですから。」

上のやり取りを英語にすることは不可能である。

そもそも、こういう会話は成立しない。

確かに論理性は全くない。

普通、会社員の受け答えはこうである。

「そうですね。本当にいいお天気です。」

日本語は文の構成要素が大胆に省略可能な言語である。省略は文の一部に限らない。
言外の意味をふまえて、行間を読む。旧知の仲でなくても、阿吽の呼吸がある程度働く。

上の例では、平日だというのに、会社員の男性(たぶん結婚している)は背広ではないリラックスした格好で出掛けようとしたのだろう。それを目敏く見つけた主婦に話しかけられると、訊かれてもいないし、咎められたわけでもないのに、平日にカジュアルな格好で出て来た理由を説明せざるを得ない気になったのである。

この会話はとても日本語らしい。

今では事情もだいぶ変わったが、一億総中流と言われた日本の同質性、逸脱を好まない中庸を重んじる国民性がにじみ出ている。

最近は価値観も多様化し、ライフスタイルも一様ではないから、上のような会話を見かけることはないのだろう。それどころか、隣人同士の会話もなく、孤立した現代人の風景が日常であるのかもしれない。

当たり前が当たり前でなく、親切心が仇となる、そういった殺伐とした世界が普通になっているとしたら、悲しむべきことである。

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